万博40周年
大阪の万国博覧会
私のお店に平成生まれのスタッフが入社してきます。いつのまにかもう平成生まれの子が社会人になっているんですね。
そういえば思い出したのですが、以前勤めていた会社は創立100年以上の老舗だったんですが、私が入社した頃に、重役さんとお話しする機会があり、その方が入社した時に配属先で「昭和生まれが初めて入ってきた!」とみんなに言われたそうです。その当時の社員の方々は明治生まれか大正の人たちがほとんどだったのでしょう。年号が変わると一つの時代の終わりと始まりのようなイメージがあるのは今も昔も変わらないのでしょうね。昭和はもう懐かしむ時代になってしまった感じがします。
大阪の万博は今年で40周年になります。昨年の今頃に、映画の「20世紀少年」のイベントで「太陽の塔」を一部覆って、花火を打ち上げる騒ぎがありました。いきなり大きな花火の音を家で聞いてびっくりしました。「太陽の塔」が鉄骨で覆われて「お祭り広場」の中央にあった時のことを覚えている人も少なくなってきたと思いますが、よくぞ「太陽の塔」だけ残してくれたものだといつも思います。吹田のシンボルだと思いますが、映画の中では悪者たちのシンボルタワーになっているようです。あの特異な形はさもありなんと思います。
みなさんの中には万博後にもう一つ残っているパビリオンがあるのをご存知ですか?それは「鉄鋼館」という建物です。これがなぜ残されたのかは諸説あって、私もほんとのところは分かりません。鉄骨をたっぷり使いすぎて(鉄鋼会社の展示物だから?)壊すのが大変で取りやめたとか、1階にあるステージを開催後もイベントに使用する計画があったからとか、壊そうとしたら実はそこには昔、工事中に亡くなった人の霊がいてそのために壊すことができなかったとか、真偽は分かりませんがずっとそのまま残っていたのは確かです。
しかもそこは私が中学生の時、友達との遊び場でした。懐中電灯を持って行って真っ暗な建物の中を探検した時のあのドキドキ感は今も忘れません。あの頃は鷹揚なもので鍵もかかってなくて自由に出入りできたのもなんかよき時代だと思いす。暗闇の中に浮かび上がる埃をかぶった円形ステージが祭りの後の寂しさを見せていました。万博当時のあの華やかでまぶしいネオンを思い出して、その落差に子供心に怖さも感じたものです。あのとき6歳の私には断片的ですけどたくさんの思い出がありました。引田天功(初代)のマジックショー、アポロ11号が持って帰ってきた月の石、松下館の幻想的な明かり、みどり館で父に肩車してもらいながら見たドーム映画、スイス館のたくさんの電球、太陽の塔の中の「生物の進化」の展示。当時、カメラのフラッシュは1回ごとに使い捨ての豆電球でした。それを大切に使いながら父が写真を撮ってくれたことも良い思い出です。そんなたくさんの思い出が、暗闇の円形ステージの中で一つづつよみがえっていました。結局は大人に見つかって勝手に入り込んでいた私たちは大目玉をくらったのですが、それから二度とふたたびあの場所に行くことはありませんでした。
その思い出の場所がリニューアルされて3月13日(金)に万博の資料館としてオープンするそうです。あの廃墟になっていた建物がやっと有効利用されるそうです。頑丈な建物はステージも有効に使われ、眠っている霊も喜ぶことでしょう。再び、あの鉄鋼館の中に入れるのを今から楽しみにしています。平成生まれスタッフにはなんのことかさっぱりわからないのかもしれませんが。
リニューアル前の鉄鋼館です。昨年に改装のニュースが流れて、懐かしさから30年ぶりに見に行った時のものです。
昔は鍵のかかっていなかったトビラ